日本軍は日露戦争でも、日本軍の戦死者よりも先にロシア軍の戦死者を祀っています。支那事変でも、敵兵の戦死者を祀ることを忘れませんでした。何よりも東京大空襲に来て墜落して亡くなったパイロットをも祀っています。
日本軍は規律正しい統制のとれた模範の軍隊で、「戦時国際法を守る国」として世界的に定評がありました。
戦後、東京裁判を始めとしたアジア各地で行われた軍事裁判では、白人や支那人が当然のこととして行ってきた悪行のすべては日本軍の仕業にすり替えられ、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と呼ばれる日本占領管理政策の一環として行われた日本人の洗脳政策によって、日本人自身も日本軍に対する「悪」のイメージを植え付けられ、祖国を命がけで守ってくれる軍隊にアレルギーを持つ世界唯一の国になってしまいました。
しかし、日本軍の本当の姿は、前述したように世界から称賛されてた規律の取れた心優しい軍隊で、現地市民の間でも日本軍は、規律に厳正で、支那軍よりもよっぽど信用できるとの評価を得ていました。
日本軍は現地人からも信頼されており、日本軍が統治した所は大体付近から人が集まり、人口が増えています。
日本人は支那人の思いまで大切にしていて、支那人が崇拝している偉人である孟子にも「支那人が大切にしている偉人」という理由で大切にする軍令が出ていました。
孟子廟の入り口には次のような注意書きが掲げられていました。
「孟子廟に参拝する日本軍人の心得」
1、孟子は孔子と共に支那人の最も崇拝する偉人である。我々、日本人にとっても精神的文化の恩人である。
2、参拝する者は、故国において神社、仏閣に参拝すると同様の心得を持って慎み深く行動すること。
3、模範的行動が皇軍の名誉を発揚し支那民衆に日本軍が親しまれる力となることを忘るべからず
孟子廟以外にも、山東省北部の世界的文化遺産「雲崗の石窟寺院」を保護する軍令も出ていました。
また、支那の偉人である孫文の銅像が倒れていると、銅像に旗をかけてあげるなど、敵とは言え支那の軍人以外には自国のもの以上に接して来たのが日本軍でした。
そんな日本軍が、未だに世界中で「悪」の代名詞で語られるのが残念でなりません。
世界では自分たちが悪行の限りを尽くしてきたので、日本軍も同じことをしたというと簡単に信じれる土台があります。
しかし、日本では古来から虐殺という文化はありません。
世界のお城は城塞都市となっており、民間人を守るための防壁がありますが、日本のお城は侍を守るためのもので、民間人を守るためのものではありません。
これは侍が民間人を守らなかったのではなく、民間人に手を出す軍人がいなかったので守る必要がなかったからです。
戦国時代を始めとした日本でいう戦争は、侍のトーナメントであり、民間人を巻き込んだものではありませんでした。
なので、日本には滅びた文化がほとんどなく、各都道府県に多くの特色ある文化が残っています。
これは、戦争においてもそういったものに手を出さず、敵でもそういったものを守ってきたからです。
自分の命よりも名前や名誉を大切にしてきた日本軍が、「悪」の代名詞で語られるのは、日本の歴史を通して培って来たものへの最大の侮辱です。
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