日本軍は日露戦争でも、日本軍の戦死者よりも先にロシア軍の戦死者を祀っています。支那事変でも、敵兵の戦死者を祀ることを忘れませんでした。何よりも東京大空襲に来て墜落して亡くなったパイロットをも祀っています。
日露戦争の日本海海戦の際、ロシア艦隊側の戦死者は4,545名に上ったそうです。彼らの遺体はほとんどが海中に没したが、一部は日本海側の人々によって収容され、埋葬、供養されていたことが分かっています。
漂着して日本に流れ着いたロシア兵の遺体は青森から長崎にかけて、11府県で総数71人でした。
そのすべての記録は残念ながらネットでは見つかりませんでしたが、新潟県や石川県、鳥取県などの記録が残っており、それぞれが遺体を埋葬し、弔っています。
石川県では、故郷ロシアを見れるようにと高台に慰霊碑が建てられ、現在においても墓前祭を長年続けているとのことです。
新潟県においても、流れ着いた遺体を、浜の共同墓地のわきに埋葬し、現在も地元の人達によって花が供えられているとのことです。
同じ新潟県に流れ着いたロシア兵の他の遺体は、明治記念堂の横西の空き地に埋葬し、墓標が建てられたとのことです。現在は在日ロシア総領事館がそれを伝え聞き、非常に感謝して埋葬した得勝寺の住職の墓の隣にロシア兵の墓が建てられています。
その他にも、大阪の泉大津市にも、ロシア兵の墓が600平方メートルに89基並んでおり、ロシア語など5か国語で「御霊よ、安らかなれ」と刻まれています。
愛媛県松山市でもロシア兵士98人のお墓があり、現在においても月1回の墓地供養と清掃活動が行われており、年1回松山市主催で慰霊祭が行われています。
その他にも、支那兵を祀る碑文などが高野山や興亜観音などに建てられています。
亡くなった方を敵、味方なく祀るのは、日本人として当然の行為で、それだけに靖国神社などに首相が参拝するたび、国内からも批判の声があがるのが、残念でなりません。